野口は新札の顔にふさわしいか

中里一先生も云っていたが、どうも、ダメらしい。分かり易いまとめ。

うちの大学(医学部)の微生物学の教授は、野口英世の業績に関してこのように語っていました。
彼が発表した200以上の論文の中で、正しかったものは数報にすぎない。後はことごとく間違っていた、また、正しかったと言っても、実証的にそれを証明した結果としてではなく、たまたま正しかったにすぎない、と言ってもいい。
代表的な仕事である、梅毒トレポネーマの培地による純粋培養の成功も現在ですら誰一人成功しておらず、これは培地上で増殖した菌を同定すれば、簡単にトレポネーマであるか否かは判断が付いたために、おそらく、意図的に捏造した可能性が高いと結論づけられる。
当時の技術では、ウイルスは同定できなかったので、技術的な問題から、ミスを犯してしまった可能性も否定できない。しかし、コッホの三原則によれば、同じ症状を示す患者から同じ菌が同定され、患者から単離された菌が病原性を持っていることを示して初めて病原微生物であることが証明できるのだが、たとえ、ウイルスが顕微鏡で検出できなくても、濾過性(ウイルス)の液体の中に、病原性のあるものが検出されれば細菌でないことも証明できるにもかかわらず、ほとんどそれを細菌説としていたのは、実験手技上の問題と言うよりも、ある程度意図的にデータの改竄・捏造をしていたとしか考えられず、彼は悪質な不正行為を意図的にしていた、あるいはそうおもわれてもしかたがない、と結論できるのではないかと思います。
さらに、この微生物学者の野口評というのは、専門家であれば、ほぼ一致した意見だということです。
ですから、野口がペテン師であったというのは、現代の技術から初めて言えるわけではなく、当時のレベルからも、そういえるわけです。幸いなことに、野口が生きていたときには、まだ、野口の間違いが実証できなかったから発覚しなかったのです。野口はそのことを知っていたのでしょう。これまでの凄まじい大チョンボをひっくり返すために、アフリカの奥地へ奥地へ、迷い込み、より大きな業績を作りだそうとしたのでしょう。そして追い込んだと思った黄熱病に自らも感染し死亡したのは、野口自身が自らの野心の犠牲者になったといえるのではないのでしょうか。野口は悲劇の科学者だったのでしょう。